こんにちは。札幌市にある『カウンセリングルームこころの羽』の岡本です。
前回のエピソードで私が「うつ状態」(「うつ病」と診断を受けたわけではなかったので、あえて「うつ状態」と書かせていただきます。)から抜け出す“きっかけ”が友人への相談だったことをご紹介させていただきました。
前回までのエピソードはこちら↓
うつ病体験記〜岡本の場合①〜
うつ病体験記〜岡本の場合②〜
うつ病体験記〜岡本の場合③〜
うつ病体験記〜岡本の場合④〜
今回は、そこから「自分の居場所」を手に入れるまでのエピソードを書かせていただきます。
◆最初のハードル
友人と東急ハンズ(札幌の大通にあった頃)で話し合った結果、「仕事」を探そう!ということになったのですが、そもそも自発的に仕事を探すという経験自体それほど多くなかったのが18才の頃の私です。
それまでの仕事の経験といえば、高校一年生の頃に自宅近所のファーストフード店でアルバイトしてみようと思ったものの、面接に合格→事前説明で出社→勤務開始直前に「やっぱり辞めます」と連絡…
→これは、「あぁ、自分はまともに仕事できないんだな。」というセルフイメージを作ることにつながっており、高校卒業するなら「よし、職探しだ」とすぐ思えなかった理由の一つです。
それ以外には、高校生活3年間の毎年末に「しめ縄売り」のアルバイトをしていたのみでした。
これは、早朝から夜遅くまでの仕事でしたが、期間が1週間のみだったので、継続的な「仕事」を探すことは初めての体験だったのです。
この状況は、当時の私にとって「自分一人」で乗り越えるには高いハードルだったのです。
◆ハードルを越えるためのサポート
私の場合、友人の存在が重要な手助けになりました。
2人で話した後、友人も仕事をしていない状況だったため「一緒に探そう」という流れになったのです。
このことは、私にとってすごく心強いものでした。
もちろん、「同じ場所の面接を受けよう」ということではありません。
それぞれの希望に合った場所に「面接の申込」をするというだけのことです。
この「たったそれだけのこと」が私にとっては重要だったのです。
同じことをしているわけではない。
それでも、離れている場所とはいえ「自分と同じことをしている仲間がいる」と思えることが重要なサポートになりました。
◆一歩踏み出してみると…
私が選んだ応募先は、実家の近くにあった小売業の店舗でした。
ただ、同級生が来るような「コンビニ」のような一般向けというよりは、「専門店」を選びました。
これは、私の自尊心…「あれだけ、音楽でプロを目指すと言っていたのに、ただのフリーターじゃん」と同級生に思われたくない…という気持ちの表れであり、少しでも気持ちが再び落ち込む「きっかけ」を減らしておきたいという必死の「抵抗」でもありました。
面接では、それまで他者に対して「隠そう」としていた「後悔の気持ち」や「挫折した辛さ」を包み隠さず面接官へ話しました。
「合格」を目的とした場合、この発言は「逆効果」な側面もあったのかもしれません。
ですが、このときの私にとっては、これ以上「自分を偽る」ことは難しく、「正直でいること」が友人から支えてもらった「勇気を持った一歩」だったのです。
後日、他のスタッフから聞いたところによると…この面接は、異例の1時間越えだったらしく、社員たちの目線からも「なんで、アルバイトの面接にそんなに時間かけているんだ?」と驚くようなことだったそうです。
結果は、自分の予測に反して「合格」。
どこも働ける場所がない、どこにも行き場所はないと思っていた自分にできた「唯一の居場所」になりました。
(次回へ続く…)
◆今の“岡本”が振り返ると…
友人と会うまでは「自分には無理」だと思っていた仕事探しでしたが、一歩踏み出してみると自分の想定とは異なりすぐに解決の糸口をつかむことができました。
これは、カウンセリングにも共通する点があるのですが、「一人で解決」させようと考えると「無理」だと思えることも「誰かと一緒」だと自分のイメージを超えた結果につながることがあります。
これはカウンセリングの『来談者中心療法』という考え方の「バディ効果」と呼ばれるもの。
「一人じゃない」そう思えるだけでも、自分でも想像できなかった力を発揮できることがあるという一例です。
もちろん、これだけですべてが上手くいくほど世の中は甘くなかったのですが…
次回は、『うつ病体験記・岡本の場合』の第一部最終回となる予定です。
実は、私の場合にはあと2回ほど、うつ状態に陥った「体験」があるのですが…それは、また別の機会に。
まずは、次回、第一部の最終回をお楽しみにしていただけますと幸いですm(_ _)m
『カウンセリングルームこころの羽・札幌本店』岡本教兵