うつ病体験記~岡本の場合①・誰にでも可能性がある“うつ病”、“うつ状態”~ | 札幌のカウンセリング こころの羽

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うつ病体験記~岡本の場合①・誰にでも可能性がある“うつ病”、“うつ状態”~

こんにちは。札幌市にある『カウンセリングルームこころの羽』の岡本です。

これまで『うつ病体験記』としてスタッフMの体験をご紹介させていただいておりました。
今後もMさんには、様々な場面で登場いただくことになると思いますが、「うつ病体験記」への評判が非常に良く…他にも事例を掲載できると何かのお役に立てるのではないか…と考えた結果…
私自身の体験を掲載してみようと思い立ちました(^^)

これまでもカウンセリングの中で相談者さまにお話することはありましたが、自分自身の体験をインターネット上で公開するという考えは思いついていなかったので、少し不安なような誰かの役に立てると思うと楽しみなような複雑な気持ちでいます。
私の場合、とくに当時の記録を残しているわけではないので(実家には日記があるような気もしますが…)、数年前や十数年前を振り返りながら書かせていただこうと思います。

落ち込んでいる人-うつ病

◆産まれて初めてのうつ体験…作られていた“土台”

私の場合、振り返ってみると人生の中で「うつ病」というキーワードと不思議な縁があるようです。

20代の頃、お付き合いさせていただいた女性が3人連続で「自殺未遂を経験していた」ということだったり、私がカウンセリングのお仕事を始めるきっかけになった実父の「うつ病」など。
社会人になって初めてできた部下も今考えれば「うつ状態」(診断は受けていなかったと思いますので、「うつ病」ではなく「うつ状態」という記載にさせていただきます。)が入社当時の状況でした。

そんな私が初めて「うつ」という状況に陥ったのは、高校3年生の頃。
卒業が間近に迫った2月頃の出来事です。

当時の私は、小学生の頃から夢だった「プロミュージシャン」を目指しており、高校2年生の時には友人のバンドと企画を組み、札幌市中央区にあった「自由空間」というLIVE会場をお借りしてL’Arc~en~Cielのコピーバンドでステージに立つなど、今振り返ってみるとある程度「充実した青春」だったようにも思えます。

ただ、一般的にイメージする「バンドマン」のような華やかだったり、「酒・タバコ・女」のような派手な生活とは真逆で、学校では大人しく、放課後や週末になると学校外にいたバンドのメンバーと音楽スタジオで練習をして技術を磨くような自分で言うのも恥ずかしくなるくらいの「真面目な学生」でした。

その結果(?)というか、その影響というか、学校内では友達は少ない方で恋人もおらず、LIVE活動というのも高校時代には1度きりでなんとも「不完全燃焼」な青春でもあったのです。

そんな生活を2年以上続けながら、3年生になった時の進路は「フリーター志望」という一般常識からは外れた選択をしたことで学校の担任からは「お前、もっとちゃんと考えろよ」と言われていたことを覚えています。
それでも高校2年生のときに体験した初めてのLIVEは40~50名ほど入る会場は満席で非常に盛り上がり、それまで地道に練習していた分、一緒に「対バン」としてステージに立った友人のバンドよりも評判が良かったことは自分にとって「根拠のある自信」だと勘違いしていたのです。

後にこの判断を後悔する瞬間が来るとは、このときには頭の片隅にも浮かんでいませんでした。

本気で「HYDE(ハイド)さんみたいになるんだ!」と思い込んでいたのです…。

骸骨とピストル

◆それは、まるでピストルが暴発するように…

そんな私が人生で初めての「大きな挫折」を自覚することになったのが、ある日の夕食時。

高校3年生は、受験シーズンが終わると学校に行く機会も少なくなり、卒業式まで「お休み」になるのが私が通っていた高校の“流れ”でした。
その日もいつも通り母と二人で夕食を食べていると、急に不安な気持ちが膨らんでしまったのを今でも覚えています。

それまでの自分は、前述の通り、LIVEの成功体験を「根拠のある自信」として自分自身がプロミュージシャンとして活躍することを全く疑っていなかったのですが、心のどこかで不安を押さえ込んでいました。

なぜなら、高校2年生でバンドのメンバーとLIVEを感動的に終えた後、メンバーの大半は、「よしっ、良い思い出も作れたし、これからは受験勉強に専念するわ!」と離散していったのです。
「解散」と呼べるような格好の良いものではありません。

とくに「話し合い」や「打ち合わせ」のようなものがあるわけでもなく、私ともう1名のバンドメンバー(高校中退している方でした。)を取り残して、他メンバーは「当たり前」のように受験勉強へと切り替わって行ったのです。

今思えば「そりゃそうだ」という話なのですが、当時の私にとっては、「これで小学生の頃からの念願の夢が叶う!自分の本当の人生がスタートするんだ!」なんて考えていた矢先の出来事だったので、「えっ?!えっ?!みんなでプロ目指すんじゃないの???」という混乱状態でした。

そんな状態になりながらも高校3年生に進学してからは、バンドの仲間探しを私ともう1名のバンドメンバーの2人で行いつつ、とくに個人練習をするでもなく、ただただ惰性で時間を浪費していきました。

その結果が高校3年生の2月。

学校も休みに入って「どこにも行く必要がない」状況になった時に「自分の居場所」がどこにもないことを初めて自覚したのです。

それは、まるで「誰かに向けていたピストル」が突然暴発して自分の目の前を真っ暗にしたような…そんな感覚でした。

次の瞬間に自分の口から出た言葉は…

「母さん、俺、プロになるの無理だわ」

でした。

(次回に続く…)

クエスチョンマーク-分析

◆“今の岡本”が振り返ると…

ここまでしっかり文章にしたこともないエピソードだったので、「大人」としての立場になった自分が見ると「そりゃそうなるわ」と感じる部分もあるのですが、当時の自分は全く予測できていなかったんですよね…。
それまで見てみぬふりを続けてきた結果、身動きがとれない段階になって初めて「現実」を自覚して絶望する。
そんな体験が私の「うつ状態」の最初の1ページです。

余談ですが、私の実家は、父、母、姉、私の4人家族。当時は、祖母が同居していたので、5人家族でしたが、父は小学生の頃から単身赴任で本州に仕事へ行っていたため自宅には1~2年に1度帰ってくる程度。
姉は、記憶は不確かですが、当時お付き合いしていた彼と同棲していて実家にはいなかったような気がします。

祖母は、食事が終わると自室へ戻ることが「当たり前」になっていたので、食欲がない中で夕食を最後の一人になって食べているときに母にポロッと「俺、プロになるの無理だわ」と伝えました。

次回は、うつ状態に陥ってからの約1ヶ月間について書いてみようかと思います。
更新頻度は、どの程度になるか未定ですが、もしよろしければ、楽しみにしていただけると嬉しいです(^^)

『カウンセリングルームこころの羽』岡本教兵

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