こんにちは。札幌市にある『カウンセリングルームこころの羽』の岡本です。
これまでのエピソードで私が「うつ状態」(「うつ病」と診断を受けたわけではなかったので、あえて「うつ状態」と書かせていただきます。)になった時のこと、少しだけ抜け出せそうな気持ちになった時のことを書かせていただきました。
前回までのエピソードはこちら↓
うつ病体験記〜岡本の場合①〜
うつ病体験記〜岡本の場合②〜
うつ病体験記〜岡本の場合③〜
今回は、そこから少しずつ回復に向かっていくときのことを書いてみようと思います。
◆どん底まで落ちてみると…
しばらく外出することも辛くなり、布団の中で毎日を過ごしていた私が、「死に場所」を求めて歩き続けた結果が、「自分ひとりで生きてきたわけではなかったんだ」という事実に気付いたことでした。
あの時のバスに乗った感動は、今でも忘れません。
通学・帰宅で毎日のように乗っていたものなのに、歩いている時にはあんなに長く感じた距離を座っているだけであっという間に運んでくれる。
この体験は、今までの自分が「一人で生きている“つもり”」だったことを強く印象づけました。
その翌日、私は、「ここまで来たら、もっと人に頼ろう」と決意します。
それまでは、同級生や友人に今の自分の不安定な状態、落ち込んでいる状態を「知られないように」「気付かれないように」ということしか考えていませんでしたが、まずは友達に正直に今の辛い状況を話してみよう!と思えたのです。
◆数少ない友達に…
私の場合は、学校生活の中でも同級生との関わりを大切にしていなかったので学校内に連絡をとれる友人は、ほとんどいませんでした。
その代わり、バンドのメンバーだった同じ年で高校を中退しているドラム担当の友人へ連絡してみることを思いついたのです。
電話をかけてみるときにすごく緊張したのを今でも覚えています。
それまでは週に1回はバンドの練習で集まっていた仲間なのですが、バンドが解散してからは暫く会っていませんでした。
「今の自分の状況を知って、どんなリアクションをとるんだろう…」「笑われたり、バカにされたりしないだろうか…」
そんな不安からの緊張でした。
勇気を振り絞って、電話をしてみると…
そこには「いつも」の友人がいました。
正直に「今、辛い状況だ」ということを話し、何とかしたいと思って電話をさせてもらったことも伝えました。
そうすると、その友人は「じゃあ、明日、大通で会おう」と誘ってくれたのです。
◆東急ハンズ(札幌市中央区)で永遠と…
友人と会う当日。
彼と私は、アルバイトもしていなかったのでお金もなく、大通の地下街で待ち合わせをして、そのままどこか落ち着いて話ができそうな場所を探しました。
しばらく歩いているうちに見つけたのが、当時は札幌駅側ではなく大通側にあった「東急ハンズ」でした。
店内の商品にも少し目を通しつつ、階段の踊り場にある「ベンチ」へと向かいます。
今思えば、お店のスタッフさんからすると「迷惑な客」でしたが、当時の私たちにとっては「最善」であり、「唯一」の選択肢でした。
そこでお互いに近況報告をしつつ、「これからどうしていくか」を語り合ったのです。
◆人と話したからこそ決められたこと
その会話の中で「そもそも俺ら、学生でもない(学生じゃなくなる)のに仕事をしていないのまずくないか?」という流れになったのです。
冷静なときに考えれば「そりゃそうだ」という当たり前なことなのですが、落ち込んでいる時には、そんなことにも目を向けられない状態になります。
一人で考えていると「仕事をしないと…」→「でも、こんな自分を雇ってくれるところなんてあるのだろうか?」→「なさそうだよな」→「親にも迷惑をかけて申し訳ない」→「死ぬしかないんじゃないか?」のような負のスパイラルに陥ります。
これが、二人で話していると不思議なことに…
「何かしないとヤバいよね」→「とりあえず、バイトでも探すか?」→「そうだよね、でも自分なんかを雇ってくれるところあるだろうか?」→「岡本くんなら何とかなるんじゃない?」→「そうかな?ホントに?」→「とりあえず、ダメ元で電話してみよう」
という流れになったのです。
今振り返ってみても、この友人は「命の恩人」です。
残念なことに数年後、携帯の機種変更を機に連絡がとれなくなってしまっているのですが…
このときの出来事は今でも大切な思い出です。
◆今の“岡本”が振り返ると…
それまでの自分は、どこか「完璧主義」なところがあって、人に弱音を吐くのが苦手でした。
当時の自分のことを思い返してみると弱音を吐く=ダサいとでも思っていたようです。
同級生の保護者からも、どちらかと言うと「岡本くんは、しっかりしているね」と見られることが多かったので、自分が弱音を吐くことは絶対にダメなこと。
しかも、「音楽でプロになる」という「夢」を周囲の反対も無視して追いかけているのに「弱音を吐く」というのは、「じゃあ、やめたら?」と言われてしまいそうな気がしていつの間にか弱音を吐くことや自分の本音を出すことを無意識に避けるようになっていたのだと思います。
この考え方のパターンが、自分自身を苦しめていました。
私の場合は、友人と話すことで自分の偏った考え方から抜け出すことができました。
当時、カウンセリングの存在を知っていれば、その相手は「カウンセラー」だったかもしれません。
「信頼できる第三者」の存在が悩みのどん底にいるときには重要だったのです。
『カウンセリングルームこころの羽』岡本教兵