こんにちは。札幌市北区にある『カウンセリングこころの羽・札幌本店』の岡本です。
前回の投稿から少し期間が空いてしまいましたが…
前回は、実家の引越に伴い生活が変化していった時期のことを書かせていただきました。
そして父の「単身赴任」。
今回は、バブル崩壊や単身赴任によって父と家族の関係がどのように変化していったのかを書かせていただきます。
◆単身赴任…心の距離へどのように影響したのか
私の父が単身赴任になった時期は、今から25年以上前の1990年代前半からでした。
私の実家は札幌市内…父の単身赴任先は仙台や横浜、青森など関東から東北までの地域が中心。
LCCなどの格安航空券もなかったため帰宅の頻度も年々減っていきました。
また、この時期には今現在では“当たり前”になっている「携帯電話」や「通話し放題」などはなく、父と話す機会自体が極端に少ない日々が続いていきます。
残された家族の方は私も含め母と姉の3名での生活なので「寂しい」という気持ちは、それほど感じたことはありませんでしたが、一人で別の地域で生活する父にとっては寂しい日常だったのではないかと今になって感じます。
◆距離が離れた結果…気持ちのすれ違いも…
これは、姉を経由して父からの「本音」として聞いたことですが、単身赴任がスタートした当時は父から母へ毎日電話をかけてきていたそうです。
前述の通りこの時代には、「通話し放題」や「LINE」などはありませんでしたし、「携帯電話」も父は仕事で使っていたと思いますが、一人一台の時代ではなかったので固定電話同士での通話だったのだと思います。
父としては、「寂しさ」を埋めるために「必要」な時間だったのだと思いますが、単身赴任スタートからしばらく経った時期に母の方から「通話代がもったいないから、電話はかけなくて良いよ」という発言があったのだそうです。
この出来事は、母の立場から考えると「節約」の一つだったのだと予測できますが、父の立場から考えると「孤立」や「拒絶」をイメージする出来事だったのではないかと思います。
私自身も研修や出張で一人で東京などに行くこともありますが、家族への連絡はできるだけしていながらも「義務」にはならないように事前に妻と話し合ってあります。
この「事前に」がポイントなのではないかと思うのです。
単身赴任がスタートする前の段階で顔を合わせながら「電話連絡などをどうするか」を話し合っていれば、表情や会話の内容ですれ違いは防ぐことができたかもしれません。
それが、顔を合わせることができない「電話」で「もうかけなくて良い」と受け取れる発言を聞いたとしたら…。
孤独を感じてしまう「きっかけ」になったことは否定できません。
◆今の岡本が振り返ると…
通話し放題が数千円で利用することができる今の時代には発生しない状況なのではないかと思います。
ただ、当時には毎日電話をするという状況は月額で数万円の通話料になる可能性もあり、電話を使うか使わないかは人それぞれの価値観により大きく異なるものだったのではないでしょうか。
環境や価値観は時代の流れによって変化するものかもしれません。
その一方で人の心は、心理学の有名な理論が数十年前に提唱されていたり…と簡単には変わらないものに感じます。
今回の私の父と母の「電話」に関するエピソードは、『自己実現理論』における「帰属の欲求」という視点で考えると心理的な影響の大きさを予測することができます。
父の立場にとっては「帰属」が重要だったのだと思いますが、母の立場にとっては「安全の欲求」(財産の維持)の方が重要に感じていたのかもしれません。
この状況は、どちらが正解・不正解という話ではなく、それぞれの価値観の「違い」と考えるのが妥当なのではないかと感じます。
さらに、私の父の場合は、単身赴任という環境だけではなく、仕事自体の立場でも「帰属」を感じにくい状況だったのではないかと後に知ることになります。
建築関係の会社に勤めていた父は「下請け」として本州での仕事を請け負っていたため「元請け会社」の制服(作業着)を着て日々を過ごしていたようなのです。
これは周囲に仕事仲間がいても「他社」であるという点で、なかなか心を許せる相手が近くにいなかったのではないかと思います。
人の心を健康に保つためには、それぞれの欲求がある程度満たされていることが大切です。
中でも「帰属欲求(社会的欲求)」は、自分ひとりで何とかなるものではないという側面もありますので、日頃から意識しておきたいですね。
あなたにとっての「帰属欲求」を満たしてくれる相手は、どのような人たちでしょうか?
『カウンセリングこころの羽・札幌本店』岡本教兵