こんにちは。札幌市北区にある『カウンセリングこころの羽・札幌本店』の岡本です。
これまで『うつ病体験記』として私自身のうつ状態について書かせていただきました。
まだまだエピソードとしては、様々な体験をお話できるのですが…今回からは、私が「心理カウンセラー」という仕事を選んだ“きっかけ”となったルーツについてご紹介させていただこうと思います。
「うつ病」をサポートする家族側の視点としてのエピソードになります。
私の家族が直面した状況を知っていただくためには…まずは、私の生い立ちを少しお話する必要があるかもしれませんね。
◆岡本は、どのような家庭環境で育ったのか
これは、私自身としての視点になりますので、親には親の言い分や事情があったことを今では理解しているつもりです。
そして、心理カウンセラーという立場で自分自身の生い立ちを赤裸々に語ることに対する賛否両論もあるであろうと思いつつも誰かのお役に立つのであれば…という想いで書かせていただこうと思います。
私は、札幌生まれ札幌育ちですが、建築業の父と専業主婦の母との間に第二子として生まれました。
兄弟としては、2歳上の姉が一人。
どちらかというと仲の良い関係の姉弟だと思います。
幼稚園入園と同時に「イジメ」を経験したものの、今振り返ってみても幼少期は「恵まれた家庭環境」だったように思います。
それが、父の仕事が「バブル崩壊」に伴って上手くいかなくなってきたあたりから家族の関係や家庭環境が大きく変化していくことになります…。
◆実家の引越し…そして…
私が育った家族としての転機は、バブル崩壊直後。
その時点では、父の仕事にもそれほど大きな影響は出ていなかったのかもしれませんし、今の年齢になって振り返ると「影響が出ていた」からこその決断だったのかも…とも思えますが、それまで2LDKのアパート暮らしだった実家が本格的に「新築・戸建て」を考え始めます。
そこを考えられる時点で、経済的には、やはりそれなりに裕福な家庭環境だったのかもしれません。
その一方で、この両親の決断が家族の関係を大きく変える「原因」になることをその時は知る由もなかったのです。
新居を検討している期間のことは今でも覚えています。
毎週末のように住宅展示場へ行き、モデルハウスを見て回ったり、特別価格で購入するための抽選会に参加したり…。
私や姉にとっては「非日常」のイベントだったため、どこかワクワクしていましたし、父や母にとっても(良い意味での)人生の転機となる一大イベントだったことは間違いありません。
この期間が数ヶ月続いた頃でしょうか。
とあるハウスメーカーと共に「土地探し」に出るような機会が訪れます。
札幌市の近郊や郊外など、様々な土地を探してまわり、最終的には姉と私が「転校」せずに済む範囲で…ということで当時住んでいた場所から車で10分程度の距離にある「たまねぎ畑」の一部を購入するという流れになったのです。
そこが私にとって第二の「実家」となる新居が建つことになる場所であり、私自身が「うつ状態」を体験し、父が「うつ病」となった末、人生の終着地となる場所になることをこのときの家族は誰も想像していなかったのだと思います。
◆あとがき&次回予告
私の父の「うつ病」に関するエピソードは、前置きが少し長めになってしまいそうです(汗)
そして、先にお伝えしておくと…「ハッピーエンド」ではなく「バッドエンド」となるエピソードです。
これは、私のプロフィールにも書かせていただいていることですので、ご存知の方も少なくはないかと思います。
ただ、ここまで詳しくお話したことはカウンセリングの時間にもありませんので、「うつ病」に対する具体例の一つとして、そして家族と向き合うための何かのヒントとしてお時間がある時にでもご一読いただけますと幸いです。
次回は、岡本の実家が新築されたところからスタートします。
「バブル崩壊」の影響により、どのようなことが起きたのか…。
そのあたりのことを詳しく書かせていただこうと考えております。
『カウンセリングこころの羽・札幌本店』岡本教兵