こんにちは。札幌市北区にある『カウンセリングルームこころの羽』の岡本です。
先日、3歳の娘とお風呂に入っているときに娘が気に入っているクマの形をしたスポンジが壊れてしまいました。
娘は、このスポンジを使ってお風呂掃除の手伝いをしてくれていたのですが、半年くらい使っていたのでボロボロになって来ていたんです。
「クマさん壊れちゃった・・・」
と悲しむ娘に対して、「形があるものは、いつか壊れるから、仕方のないことなんだよ。」「ゆうちゃん(娘のニックネーム)が一生懸命お掃除してくれていたから壊れたって言うことは、すごく頑張った証拠だし、すごく良いことだと思うよ(^^)」となだめてみました。
その後、風呂あがり後にも気にしている様子だったので、色々な話をしつつなぐさめていたのですが、その時に娘が言ったひと言に「人生」を深く考えるきっかけをもらいました(^^)
「パパは?」「パパも壊れちゃうの?」
ハッとした私は、
「そうだね、パパもいつかは壊れてしまうのかも知れないね。だからこそ、今を大切にしていこうね。」
と答えつつも、そうか、自分もいつかは娘と別れる瞬間があるのだよなぁ。と感慨深い気持ちになってしまいました。
このエピソードを妻に報告した時に妻はボロボロに泣いてしまったのですが、翌日、妻が中学生時代に書いた作文のテーマについて話してくれました。
『人は死ぬために産まれるのか、生きるために産まれるのか』
このテーマで作文を書こうと思う中学生も凄いな(笑)と思いつつもお互いの考えを意見交換。
札幌でカウンセリングの仕事をして、日々、様々な相談者様と接する中で色々と深く考える機会は多い方だと思いますが・・・
私は、「人は何かを残すために産まれ、生きるのだ」と考えています。
それは、子供(子孫)なのか、何かの「作品」なのか、生きた証と呼べるような何かなのか・・・
人それぞれ違いますし、違っていて良いのだと思います。
確かに人は産まれた瞬間に全員が共通している運命として「死」が確定しています。
それでも、ただただ死に向かって生きている。と言うよりも死んでしまうその瞬間までに「何」を残せるかが大切なのだと。
もしかすると「死ぬこと」自体も何かを残すことであり、重要な出来事なのかも知れませんが、まずは、ただただ日々を生きると言うよりも「自分には何が出来るのか」「自分は何を残すのか」を模索し、追及して生きることこそ人が産まれる意味なのでは無いかなぁと私は考えています。
この考え自体も、人それぞれの「答え」や「想い」があって良いと思うのですが、あなたはどう思いますか?
私が担当させていただくカウンセリングでは、悩みの相談はもちろんですが、ご相談者様の価値観や人生観を改めて考えることやご自身の考え方の整理をするお手伝いもさせていただいております。
私の価値観を押し付けるようなことはしておりませんので、ご自身の気持ちを整理するためのきっかけとしてもお気軽にご利用いただけると嬉しいです。
札幌市内にお住いの方は、直接お越しいただくカウンセリングも承っておりますし、北海道外や遠方の方のためのオンラインカウンセリングもご用意しておりますので、ご不明な点はご遠慮なくお問い合わせください。
『カウンセリングルームこころの羽』岡本教兵