あなたの愛情は条件付き?それとも条件なし?~心理カウンセリング視点で考える日常~ | 札幌のカウンセリング こころの羽

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あなたの愛情は条件付き?それとも条件なし?~心理カウンセリング視点で考える日常~

こんにちは。札幌市北区にある『カウンセリングこころの羽・札幌本店』の岡本です。

心理カウンセラーという仕事を選ぶ人間は、様々な物事を小難しく考えるのが好きらしく…(笑)

私の場合は、ここ最近も「愛情」というテーマで色々な角度から考えてみたりしていました(^^;

もちろん、普段の心理カウンセリングのなかでご相談者さまに「小難しく説明する」というわけではありませんのでご安心くださいませm(_ _)m

カウンセリングのときに分かりやすくシンプルに説明するために、普段の日常生活や自分自身の人生を振り返るときには“広く浅く”よりも“狭く深く”という視点で考えるようにしている…という表現の方が私個人としてはしっくりきます。

私の頭の中で留めているだけだとこの考え方が他の方々の価値観からどのように感じるのかが分からないままになってしまいますので、今回のブログでは、普段の岡本の小難しく考えている頭の中の世界にご招待させていただこうと思います♪

※今回は、テーマを深堀しようと思っていますので、少し読み疲れするかもしれません…。
「育児」や「愛情」、「アダルトチルドレン」などのキーワードに興味を持っていただいた方に読んでいただけると嬉しいです(^^)

【今回の記事のポイント】

Point①愛情には「受け取り方」によって条件付きの愛情と無条件の愛情の2種類がある

Point②幼少期に感じた「条件付きの愛情」によっても価値観が形成される

Point③大人になって「条件」が異なる状況でも幼少期につくられた価値観が判断基準になる可能性がある

双子の赤ちゃん

◆「愛情」は、条件を満たした人が得られるもの?それとも無条件で得られるもの?

「愛情」というキーワードで連想するものは、あなたの場合だと「恋愛」でしょうか?
それとも「親からの愛情」や「家族愛」でしょうか?

なかには「師弟愛」というイメージを連想する方もいらっしゃるかもしれませんね。

もちろん、この問いかけの「答え」に「正解」があるわけではありません。

私の場合は、恋愛よりは家族愛(親からの愛情)のイメージの方が強いような気がしています。

ここで、そもそも今回のブログのテーマにたどり着いたきっかけを少しご紹介させていただきますと…

私は、現在、娘と息子、二人の子育てに関わっております。

「関わっております」という微妙な表現にさせていただいたのは、主に負担を負っているのは妻の方であって私が「子育てをしています」と表現してしまうことには少し違和感を覚えたからなのですが…。

それはさておき…この「子育て」というのは私にとって非常に重要な意味をもつものでして、まだあまりブログでも書いていませんが、「離婚」を経験したときにも「子供」に対してのとらえ方や価値観のすれ違いも大きな原因になっていました。

大変ありがたいことにその後、再婚することができ、今の妻との間に二人の子供を授かることができたわけなのですが…子供が生まれる前に想像していたことと実際に子育てのなかで体験することはギャップも大きく、日々勉強になります。

そんな毎日の中で娘も5歳になり、様々な感情を持つようになってきたことが嬉しい出来事でもあり、戸惑う状況にもつながっています。

とくに「叱る」という場面があったときにその後の受け取り方が私の予測と実際の娘の受け取り方で大きく違いがあることもあり、そこからも様々な気付きを得ているのですが…

例えば、何か「良くないな」と感じる出来事があって娘に対して注意をしたとします。

私の感覚では、その「出来事(行動)」に対して「次から気を付ける」という受け止め方をしてもらいたいし、当然そうなるだろうと予測して言葉を投げかけるのですが…

娘の受け取り方は「パパに叱られた。もう嫌われたのかもしれない。」と考えて極端に落ち込むという行動をとってしまうこともあるのです。

もちろん、毎回そのようになるわけではありませんし、成長過程における「愛情の確認」の一つとして「落ち込んだように見せている」という側面もあるのかもしれません。

その一方で、この状況に対して私が娘に対して持っている愛情は何かの行動に対して「条件付き」で感じているものではなく、娘の存在自体に対して「無条件」で感じているものであることを伝えていくことが大切なのだなと気づいたことが今回のブログのテーマにつながっています。

抱き合うウサギ-愛情のイメージ

◆親の愛情は、本当に無条件なものなのか?

これについては、2つの視点でそれぞれ真逆の結論になるのではないかと私は考えています。

一つは心理的な側面。

私自身の“気持ち”としても親の愛情は「無償の愛」であり、「無条件な愛情」と思いたいという感覚があります。

そしてもう一つの側面は、潜在意識(種の保存を前提とした本能の部分)です。

この視点では、親子関係にもある種の「利害関係」が存在すると考えることができます。

「子供が親のために何かをすることが利益になる」というわけではなく、子供の存在自体が自分(親)の遺伝情報を後世に残すことであり、そのこと自体が「利益」になるという考え方です。

この子供の存在自体が親の利益になる…という前提条件の認識があるからこそ、親は子供に対して無償の愛情を感じるものなのかもしれません…。

もちろん、このあたりは人それぞれの価値観や死生観、宗教観などによっても異なる部分ですので、他の考え方を否定するつもりはありませんが、私の場合は、この考え方も人の心を分析する場合の一つのヒントと認識しています。

このように考えていくと…

親から子供に対する愛情は、「無条件な愛情」(そこにいてくれるだけで幸せを感じられるもの)かもしれませんが、その一方で「無償の愛情」ではない。と考えることができます。

子供の存在によって親にとっては、大きなメリットが得られるのは事実だと思いますので、「無償」ではないということですね(^^;

それが「良い」「悪い」という話ではありませんが、一つの考え方としてとらえていただけると幸いです。

子供の心理状態-指をさされる少女

◆子供の受け取り方は…

親の愛情が基本的には「無条件な愛情」になりやすいことは前述させていただいた通りです。

その反面、子供の立場からみた親の愛情は、どのように感じられるのでしょうか…?

これは、私自身の幼少期の体験にも当てはまりますが、子供は子供なりに様々な角度から親の行動や発言を分析し、「親の本音」を予測しているものなのではないかと感じます。

例えば、私の場合は、振り返ってみると父の気持ちに対してほぼ無意識に次のような仮説を立てていたと気付きます。

「父は、自分に対して愛情を持っていない。」

今になって思えば、「そんなことはない…よね?」と思える部分もありますし、前述の考え方を当てはめてみても「無条件の愛情」は持ってくれていたのではないかと推測することができます。

それでは、何故、幼少期の私は父からの愛情を疑うというか信じないという発想に至ったのでしょうか…?

そこには従弟との関係が鮮明に思い浮かんできます。

私の従弟は、5歳程度年下です。父の妹である叔母の第一子として生まれました。

叔母家族は関東方面に住んでいるのですが、今になって振り返ってみると「里帰り出産」だったのか、従弟が生まれたときには叔母だけが札幌に来ていたのだと思います。

そして、そこで退院後の従弟を父が満面の笑みで抱き上げる姿が30年以上経った今でもハッキリと脳裏に浮かんでくるのです。

当時の父も仕事が忙しく、自宅で会えるのは休日のみ。

その休日も度々、接待ゴルフ(?)などで潰れてしまっていたので、実質的に月に数回一緒に過ごせる程度でした。

そんな中で従弟の誕生を祝う場面での父の行動は、幼少期の私の心のなかに「嫉妬心」を生み出すきっかけとなったのです…。

普段の父は、私に「注意」や「教育」ばかりをしていたように記憶しています。

あまり「遊んでくれた」記憶がないのです…。

たまに一緒に出掛けると「お前は姿勢が悪い。もっと背筋を伸ばして歩け」「女の人には優しくしなければならない。」「お母さんとお姉ちゃんは、お父さんがいないときはお前が守るんだぞ」

こんなことを言われることが多く、私の頭の中では無意識的に「ちゃんとしていないとお父さんから認めてもらえない」「頑張らなきゃ」という思いが強くなっていったように感じます。

その一方で、その言われたことを完璧にできているかと言えば、現実的には思うようにいかないことも多々あるわけでして、結果的には「父の言うとおりに出来ない自分」=「愛される価値のない自分」という条件を満たさないと愛情を与えてもらえない存在という自己認識を膨らませていったように思います。

その価値観に「母」との関係が更に重なり、どんどん複雑な気持ちがつくられていくわけですが…そこに触れてしまうと更に長くなるので別の機会にご紹介してみようと思います(^^;

はまなすの丘公園で遊ぶ男の子

◆その体験の結果としてつくられた価値観は…

このような父との関係性のなかでつくられたのではないかと感じるのが「優等生でいなければならない」という考え方です。

小学校6年生あたりで大きく変化したものではあるのですが、それ以前の自分は「正解」を求める傾向が非常に強い子供だったと思います。

その「正解」を見つけられなければ周囲の大人から認めてもらえないとでも思っていたのでしょう(苦笑)

この価値観の全てが悪かったというつもりはありませんが、結果を見てみると「教師」から虐められる体験をすることになったり、同級生との比較的大きなトラブルを発生させたり…という状況にもつながっていたように感じます。

そして、この価値観は、幼少期に限らず社会人になってからも先輩や上司に「欠点(失敗)」を見せることが怖くて相談ができないことや自分だけでなんとかしようとして問題を大きくしてしまう「根本原因」にもなっていたのではないでしょうか。

これに関して、今になって「親のせいだ」というつもりはありませんが、苦労する一因になっているであろうことは心理カウンセラーという仕事をさせていただいている今の自分には明らかだな…と感じてしまうのです(^^;

このように人それぞれ、様々な人生経験をしているなかでもその体験の「とらえ方」によって、今現在の「価値観」がつくられていると考えることができます。

色々とネガティブな表現も出てきたかと思いますが、それでも父と母の愛情を今現在の自分は実感しています。

だからと言って、過去の体験が消えてくれるわけではありませんので、心理カウンセリングなど専門的な考え方や専門家の力も借りながら自分自身の価値観やその土台となっている体験と向き合うことは人生のどこかでは必要なことなのかもしれませんね(^^)

あなたには、どのような価値観がありますか?

それは、どのような体験でつくられたものでしょうか?

『カウンセリングこころの羽・札幌本店』岡本教兵

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